ご無沙汰しております。
本当に久しぶりの投稿になってしまいました。
皆様、ゴールデンウィークはいかがでしたでしょうか?
私は、徳島に住むおばあちゃんに会いに行って来ました。
おばあちゃんは今、センターに入っています。
体は元気なんですが、もう92歳なので足腰がかなり弱くなってしまっています。
なので私から行かなきゃ会えないのに、自分ことばかり優先してしまってなかなか会いに行けませんでした。
久しぶりに会って、「誰か分かる?」って聞くと、考えることなく名前を呼んでくれました。
そして「よう来てくれたな」って泣いちゃうんです。こっちもつられて泣いてしまいそうになりました。
こんなに喜んでくれるなら、もっと早く会いにくれば良かった。
特に私は、おじいちゃんおばあちゃんにはとてもお世話になったのです。
恐らく11人いる孫の中で、いちばん迷惑をかけたかもしれません。
というのも、私が小学3年生の頃。
父は病気で入院していました。母は父に付きっきりで看病。
なので私たち兄妹3人は夏休みの間、田舎のおばあちゃんのお家に預けられていました。
この時だけではなく、冬休みや夏休みの長期休暇は毎年田舎で過ごすのが通常でした。
大阪の都会育ちでお母さんっ子の私は、親から離れての田舎での生活はあまり好きではなかったんですが💦従兄弟がたくさんいるし、川や滝、阿波踊りに連れて行ってもらったりで楽しかった思い出もたくさんあります。
だけど、この小学3年生の夏休みだけはいつもと同じではありませんでした。
私の人生で最も最悪な夏。
コンビニもスーパーも、もちろんゲームセンターもない田舎の家で、退屈していた私と姉と従兄弟。兄はひとりでテレビを見ていました。
私と姉と従兄弟は居間で馬跳びをして遊んでいたんです。
当時、運動神経にはそこそこ自信はあったのですが、私は姉の馬を飛び越えられずそのまま落下。その時ボキッボキッボキッ!!とんでもない音と、自分の腕があり得ない方向に曲がっているのが目に入りました。
痛いと感じている暇もありませんでした。むしろ、痛みは全く覚えていません。
立ち上がるとだらんと垂れさがった腕は1周捻じれて、エクボみたいな穴が。
「折れた」って冷静に悟っていました。
私以上にパニックを起こして泣き叫んでいたのが姉。
そして、兄と従兄弟が慌てて家を飛び出しておばあちゃんを呼びに行きました。
近所の人に車を出してもらって、いちばん近くの病院に連れて行ってもらったのですが、そこの病院では対処が出来ないと、さらに1時間以上離れた大きな病院へ。
訳が分からないうちに着ていたTシャツを看護師さんにハサミで切られ、「私、手術するの?手術するの?」って必死に聞いていました。
次に覚えているのはもうすでに手術を終えて、ベッドに横になっている時。
親戚がたくさん来てくれていました。
看護師さんにギブスで吊られている腕が痛くないかと聞かれ、「親指と人差し指が少し痺れる」と伝えました。そうすると、看護師さんが少しだけギブスをハサミで切ってくれました。
それから数日後、担当の先生が病室に来て私にある事を告げました。
ギブスを切ったことによって、繋いでいた骨がズレてしまった。なので、もう1度手術しないといけないと。
(私の腕には今でも大きな傷跡が残っています。なので私は夏でもあまり半袖を着ません。)
入院中、おばあちゃんはずっと泊まり込みで側にいてくれました。
百姓をしているおじいちゃんと、おばあちゃん。夏はとても忙しい時期だったと思います。
私のせいで、おじいちゃんはひとりで畑の仕事をしていました。
母にはしばらく私の怪我のことは隠していたらしいのですが、いつも真っ先に電話に出る私がいつ電話をかけても捕まらないと、母が不思議に思い始めた頃、もう隠せないとおじいちゃんが伝えたそうです。怪我をして入院しているけれど、心配ないと。
母も怪我した私より、もっと大変な父の看病。来られる訳がありません。
お盆になって、外泊の許可をもらって久しぶりにおばあちゃんの家に帰って来ていました。
その日の真夜中。黒電話の大きなベルが鳴りました。
おばあちゃんが出ると、なにも喋らないまま電話は切れました。
そしてまたすぐにかかってきました。
次も向こうは何も話さないようで、おばあちゃんが母の名前を呼びかけました。
その様子を布団の中から眺めながら、とても怖かった事を覚えています。
おばあちゃんが何かを話して電話を切りました。
そして、「お母さんから電話で、お父さんが危ないから子供たちを連れて帰ってきてって」
お盆という事もあって、親戚もたくさんおばあちゃんの家に来てくれていました。
当時はまだ明石海峡大橋はなく、フェリーを使っていました。
フェリー乗り場まで車で3時間。そこから船で3時間くらいかかったと思います。
病院に着くと、たくさんの管に繋がれたお父さんの姿。
なんで・・・。
田舎に帰る前に病院に行った時、お小遣いをくれたのに。
だけどその時、お父さんはずっとタオルで顔半分を覆っていたからちゃんと顔を見れなかった。
まさか・・・お父さん死んじゃうの?
私は、お父さんが死んでしまう様な大変な病気だなんて思ってもいなかった。
いつも強くてカッコイイお父さんが、病気に負けるはずがないってずっと思ってた。
父方の親戚もみんな病院に来ていて、みんな泣いてる。
なんで・・・お父さん!!!
私はこの状況がちっとも理解できませんでした。
やつれたお母さんが泣き崩れていても、ただ怖くて、お父さんが死んでしまうって、怖くて怖くてたまりませんでした。
お父さんは、私たちが来るのを待ってくれていたのかな?
その日はとても大雨でした。
8月13日 12時18分。
お父さんは、死んでしまいました。
お葬式を終えると、私はまた田舎に戻って入院生活。
その間もずっとおばあちゃんが付き添ってくれていました。
8月は私にとってとても嫌なことばかりが起こります。
4年前の8月。
兄が初めて従兄弟会をしようと呼びかけました。
だけど、私は仕事があったので参加しませんでした。
子供、孫、ひい孫、その家族たち。
とても大人数での賑やかな会だったそうです。
その3日後、おじいちゃんが亡くなりました。
最後の最後に。11人いる従兄弟の中で私だけが不参加。
これ程の後悔はありませんでした。
なんで、会いに行かなかったんだろう。仕事なんて、希望を出せばいくらでも休めたのに。
そんな後悔があったにも関わらず、私はまたおばあちゃんになかなか会いに行かなくて。
母がよく叔母と連絡を取っているのでおばあちゃんの様子は聞いていました。
つい最近、入院する事もありました。
今は退院しているけれど。もう92歳だし、また後悔してしまうこもしれない。
あと何回会えるか分からない。
そう思うと、おじいちゃんが亡くなった夏の事をとても思い出しました。
バイバイって見送ってくれるおばあちゃんの姿を見て、とても切なくなりました。
ずっと元気でいて欲しい。
また、会いたい。
また、会いに行くね。
おばあちゃん可愛い♡
今日は悲しい内容になってしまって、暗い気持ちにさせてしまっていたらごめんなさい。